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立川談志独演会 西新井文化センター

 

先日西の宝を見たので、今日は東の宝を見に行きました。小さんの次の国宝は絶対談志師匠だと思うんですけど。

 まず開口一番は、立川流Cコースの立川朝志さん。朝は志ん朝師匠の朝ですか?とっても流暢に早く話す人でした。流暢ですが、ただそれだけなので耳には入りますが頭には入りませんでした。しかし、釣竿を振り回しながら唄う端唄?がとっても上手かったので、そこはついつい聞き入ってしまいましたが。道楽が高じて高座に上がってしまった旦那さんというところでしょう。

 
 

次は師匠の出番ですが、「木賊刈」が流れ始めても相変わらずなかなか出てきません。そういうスタイルにしちゃったのでしょうか?やがてゆっくり登場してき た師匠はわりと機嫌よさそうでした。最近はまっているらしい、人間は誰しも何かに帰属している論を唱えつつ「今日はそんなに暑い?」と前の方で扇を扇いで いる人に静止を呼びかけました。にぎわい座でも横の桟敷で扇いでいる人に止めてもらっていました。客一人一人に向かって話す落語だから、ちらちらするのが とても気になるようです。木久蔵とか円歌みたいにずーっと同じことをやる事が出来ない、いつでも不完全なものをやっていないと安心できないといいつつ、に ぎわい座からその不完全に立ち向かっている「千早振る」を。人間は誰しも何かに帰属して擬似安定を得ているけれども、あくまでそれは偽もんだと全て分かっ ているのが落語の国の人物たちだという解釈のもと、出てくるはっつあんとご隠居の会話は、全てを分かっている上で会話を楽しむ仙人同士のように見えてきま す。歌の意味をお知れろとうるさいはっつあんにイライラしたご隠居が「この歌で、どこが一番大事なんだ?」。返す言葉が「金玉」
 談志師匠はとんでもない爺さんです。

 仲入り後、松元ヒロさんのパフォーマンスをはさみ、再び家元の登場。
医者の話をやるということで、病気がらみのジョークをいくつか。得意の気違いジョークから、「○ニスが」と師匠が言うと客席から「いやらしい」と思わず声 を出すご婦人の声に「いやらしいって言われちゃったよ」と師匠も苦笑い。しかし「いやらしいって、具体的なことを想像しているそっちのほうがいやらしい」 とすばやく切り返しす師匠はまるで子供です。
病気、シモの噺ときたら「金玉医者」です。俺がこれをやらなくなったらもうお仕舞いと行っていましたが、ある意味おのれの代表作にするつもりなんでしょうか?落語界最高峰の代表作がこれだなんて。
気鬱で臥せっている娘に、こともあろうに「ふぐり」を見せて笑わせて治すという、現代の医学で太到底受け入れられない方法を用いるこの金玉医者、ある意味 とてつもない名医ですよね。この世の常識を軽々飛び越え活躍する人物だからこそ談志師匠が何度も演じるのでありましょうか。ああ、落語の国こそが魂の解放 区なんですな。

開口一番 立川朝志 野ざらし

立川談志       千早振る

仲入り

松元ヒロ       スタンダップコメディ

立川談志      金玉医者

 

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コメント

この会に行かれた方の、
どちらかと言うと批判的な内容のブログを読みましたが、
やはり声が出なくてかなり愚痴っておられたようですね。
確かに900人収容のホールだと現在の家元ではもうキツイのではないかと思います。
…フラッと広小路亭あたりに飛び入りしてくれないかなぁ(独り言)

がんば様

 久しぶりにありがとうございます。
私が西新井に行ったは去年でしたが・・・。
今年はもうだいぶ声がまずいので、事情も知らず思い入れもない人には不愉快なことになってしまいますね。
米朝も大きな会には出ないといっていますから
談志師匠も大きな会には出ないで仰るとおり上野や日暮里にこっそり出てくれたりすると嬉しいんですがね。談志がつまらないというまったく不当なバッシングもうけないで済むし。
思うんですけど、老境に至った芸人に対して、どうしてあんなに冷たい言葉をぶつけられるんでしょうかね。観客がただの消費者になってしまったからですね。最良のビンテージワインを、古い!って怒るのと変わらないような気がするんですけど・・・。まあ、ビンテージを喜ぶのはどちらかというと好事家なわけで、やはりあまり分からない人の前には出ないほうがいいのかもしれませんね。

投稿 有賀亭 頑馬 | 2008年6月20日 (金) 23時44分

有賀亭さんに意義あり。最近の談志師匠は独演会にしても二人会にしても、客にとっては物足りない気がします。先日の談春との親子会なんかは全員がガッカリしたと思います。ガッカリしてない、という人は無理をしてると思います。年老いた芸人に冷たいとの事ですが、それは逆に談志師匠に失礼です。とにかくゲスト扱いならいいのですが独演会や二人会というのは無理だったら、やらなければいい話です。勿論、談志師匠の魅力は今だに抜群ですが、最近はガッカリさせられてる気がします。

 佐竹様

 コメントをありがとうございます。ブログの持ち主、コモマルと申します。私の表記の仕方が悪く、がんばさんのコメントと私のコメントがごっちゃに見えていたようです。お詫びします。

がっかりなさったということで、お気の毒でした。年老いた芸人に対するくだりは説明が足りませんでした。私は年なんだから労わろうという意図で書いたのではありません。私は今までの落語に与えた功績に敬意を表していて、談志という芸人の精神をを心から尊敬しているので、その人がいくら年老いて衰えようとも、だからつまらない、退場したほうが良いという事をとても思うことが出来ないのです。精神は決して滅びていないことを感じているので。

 昔歌舞伎の中村歌右衛門がまだ生きていた頃、最高の女形だということで、だいぶ高齢になってもお姫様役をやっていました。しかし、いくら白塗りをしても容色の衰えは隠せず声量も落ち、私にはどう見てもお婆さんが場違いな赤い着物を着ているとしか思えませんでした。しかし亡くなる間際まで舞台に立ち続け、多くの役者と観客はそれを支え続けました。そのときもきっと最高の女形だと思って見に行ってがっかりした人もいたことでしょう。

 この、支えた客と怒った客の違いは、その芸人への、芸能への思い入れの差だと思うのです。私は子供の頃から談志師匠の凄さを感じ、大人になって生で触れそれは絶対のものになりました。ですから、私は最後まで師匠の良いオーディエンスでいたいのです。私は談志に間に合ったことを心から喜んでおります。逆に歌右衛門のことは良く知らないまま最後だけ見たので、気持ちは分かるけど・・・・ということです。私は歌右衛門には間に合わなかったのです。残念ですが仕方ありません。これは芸人に対してがっかりだよ!と言うすじではないと思いますがどうでしょう?

 芸能を鑑賞する、芸人を見るということを単なる消費活動の一つとして見ると、消費者として満足できませんでした、駄目だという論法でいいと思います。おそらく佐竹さんら満足できなかった方々の多くは、落語を多くの消費物、商品の一つとしてのみ見ているか、談志を長く見ていないから良く知らず間に合わなかった人々だと思います。

 歌舞伎でも落語でも、芸術芸能というものは、単なる消費物として食い散らかせばいいものとは違うと私は考えます。特に落語などは見せる人とそれを見る人の関係性でもって(思い入れ、愛情の度合い)見え方がぜんぜん違う性質があるということが、今回の賛否両論で分かります。特に立川談志という芸人は見る人を選ぶ芸の持ち主であるので、分からない人が出てきてもそれはそれです。

 私は今回の親子会は、談志から談春への芸の、魂の継承の儀式だったと考えています。パンフレットに談志が書いているとおり「談志の終焉であります。・・・・若い談春を見てくれ。」です。まさに、談志の切れは体調不良により悪かったですが、代わりの談春の落語は本当にすばらしかった。歌舞伎座の舞台に気おされず堂々としたもので、立川談志の魂は確実に談春へと受け継がれたと思いました。それを目撃できた私は落語ファンとして幸せでしたし、それが分からず賞味期限が切れたものを出されたと不満に思った人々はがっかりしただと思います。

 昔志ん生が寄席の講座で眠ってしまったとき、怒る客もいましたが、「寝かせておいてやれよ」と言ったお客がいて、皆で寝てるのを見て満足したという伝説が残っています。私はそういうお客になりたい。
 

投稿 佐竹 | 2008年7月 2日 (水) 11時10分

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