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志らくのピン 古典落語編 内幸町ホール 8月

 

昨日は志らくのピンへ行ってきました。来月のチケットと、10月の談笑さんのチケットの予約もしてしまいました。私のバカバカバカ!

 立川志ら乃  開帳の雪隠  (六代目円生がやってた話らしい)

 立川志らく  千早ふる

 立川志らく  大工調べ

 中入り

 立川志らく  薮入り


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 志ら乃さんは明らかに疲れていた。目の下にくまがあったし、まくらをふっている時の表情がげっそり。落語自体はがんばってやってましたが明らかにテンションが低い。だいぶ追い詰められているのでしょうか・・・。そういうときに志ら乃さんを見ると、着物のしわの多さがやけに気になる。どうしてあの人の着物ってしわが多いのでしょうか。生地が悪いの?保管が悪いの?主人公の老夫婦のおばあさんがおじいさんみたいでなんだかよくわからない。

 今日の志らく師匠は、もちろん北京オリンピックについて。どうして日本人は日本人が好きなんでしょうかね?普段は応援しないくせにという問いかけが志らく師匠らしくておかしかった。後、男は何かのカテゴリーの中で可愛い子を探すのが好きだ(バトミントン界でオグシオが可愛いというような)という意見もなるほどと思いました。中国人は雑技団のDNAが、日本人には忍者のDNAが入っているから体操が強いという考察には爆笑。

 今日の落語のメインは「千早ふる」だそうで、(一席目が?笑)どうしてそうなのかというと、それはパンフレットに書いてありました。

 

落語の理想は、現代を語っていながら、昔のにおいがして、さらに会話に
   狂気がある。これが23年やってきて、私が学んだことだ。
                       中略
   狂気、これは談志がいうところのイリュージョン。まだ私が理解しきっていない。
   意図的に狂おうとしている。だからインチキだ。この領域に入った落語家は
   談志だけ。入る予定でいるのは志らくだけ。
    現時点で志らくは、現代を方っていはいるが、匂いが己の満足いくまで出ず、
   擬似イリュージョンをけなげに体現している落語家であるといっていいです。

 今回、上記の説明を落語で体現したのが千早ふるだったのです。知ったかぶりのご隠居でどこまで狂気を出せるのかがテーマの一席でした。

 志らく師匠の演出は、まずご隠居がやたら憎たらしい口を利くというちょっと嫌なキャラクターにしました。歌のわけを聞きに来た八五郎のお内儀さんを「アブラムシ」、そこの娘のことは化け物扱い。これでちょっと頭がおかしいご隠居だという印象にしておいて、歌のわけを聞くと明らかにまったく知らないという風なのに、歌を歌ったり突然大声を出したり逆切れしたりと、あらゆる手を尽くしてそれを取り繕ろうとします。
 取り繕うとご隠居が追い詰められるところで狂気を出したかったようなのですが、ちょっと無理やり狂気を演出しようとしていてちぐはぐになってしまったという印象でした。従来の志らく師匠の落語のスピード感だったら入ったギャグの量や質を、今の多少ペースを落としてじっくり聴かせるスタイルでは変化させないといけないのかなということです。落語のスタイルが変わったのだから、落語の構築方法も変えていかなければいけないのではないのかと思ってみていました。師匠が自ら言っているように、意図的に狂おうとして擬似イリュージョンを作り出そうとしているようでした。以前、お化け長屋でも同じような感想を持っていましたが、次に見たときはこのちぐはぐな感じが見事払拭されていたので、千早ふるも次回はご隠居が良い具合に狂ってくれることでしょう。

 たった一席で足がしびれた(笑)そうで、一回引っ込むことなく二席目は「大工調べ」。この話の「実は大家の意見のほうが正しいのだけれど、人は人情で動いてしまう」という真理を誰よりも先に見つけたのは実は志らく師匠だったという。昔二つ目のころ落語のピンで大家の意見が正しいというスタイルで大工調べをやったところ、師匠の談志が「志らくの大工調べは良いです。」と褒めてもらい、それから家元の大工調べも大家のほうが正しいというスタイル「大工調べず」になったんだそうです。さすがです。
 志らく師匠の落語は、ちゃんと落語の肝を押さえているのでいくらピーターを出しても破綻しないで面白い。これほど飛びぬけながら落語をちゃんとできる落語家は早々いないのに、巷にある落語の本では長らく軽んじられている状態が憎たらしい。どうせ見たら腹が立つだろうと見てなかったのですが、最近出た「落語 37号」では志らく師匠と談志家元が載っていないのだそうです。それで「落語」という本を出していいのでしょうか?37回も出していてその程度の認識だなんて、開いた口がふさがらないとはこのことだ。落語を取り巻く環境はかように嘘、無知、欺瞞で覆われているので、志らく師匠は自らパンフレットに書かなきゃいけないのです。それは家元も同じことです。家元への評価が嫉妬ややっかみで大きく歪められているので、冷静な家元が自ら言わざるを得ないのです。

 さて落語ですが、今回最前列で見ていたのですが、個々のキャラクターの表情が実に豊かで的確で、ああ、師匠は本当に落語が上手いんだなとしみじみ感じました。従来から語りのテンポとスピード、センスは抜群に良いところへ来て、深い演技力というか表現力がたぶん芝居のおかげで備わったことで、落語に深みと重みが出てきたようです。師匠のセンスと、最近多少ゆったりになった落語スタイルと、深い表現力がぴったりあっているのですね。

 たとえば、与太郎に気の利いた事を言わせるためにキャラクター自体が与太郎っぽくなくなってしまう人が多い中、ちゃんと与太郎としての可愛さを残したまま鋭いことを言ってしまう与太郎が良かった。「大家さんはおいらのことはあんまり怒ってないと思うよ。大家さんがね、お前は馬鹿だからおこりゃしないが、お前に入れ知恵した差し金がにくいやって言ってたよ。差し金って誰のことかなーって長屋に戻ってくるまでずーっと考えてたんだけど、それは棟梁のことだね」(笑)棟梁は、最近では落語の国にもあんまりいないだろうというぐらいのこてこての江戸っ子で、気は短いし口の利き方をたぶん知らないし、「俺はあの大家のことがでぇ嫌れぇなんだよ!」とつい言っちゃうぐらい大家が大嫌いで腹のそこで馬鹿にしているというのがよく分かる。そしてこの落語の本当の主人公の大家さんは、そう、きっと外見は六代目円生にそっくりなはずです。(笑)本当に円生はミスター落語ですね。ギスギスで気難しくて言ってることは正しいのだけれど人には好かれない、そんな人。

 何でこんな細かく想像できるかというと、それは志らく師匠の表情の演技が上手いからに他なりません。道具箱を取りに来た与太郎をキセルを吸いながらギロっと見る顔や、棟梁が家に来ると愛想よく迎えるが、後ろに与太郎がいるのを見つけると全てを察して笑顔が消えていくところの表情など本当にすばらしい。そのほか細かい視線の変化でその場の状況を的確に表現していて、師匠から目が離せませんでした。

 大家の台詞も良い。大家の意見のほうが正しいんだということを観客に分からせるため大家の言い分が押し付けにならない程度に強調されてるのです。払うべきものを払わないから、番やむを得ず道具箱を預かっただけであって、家賃を入れてくれさえすればすぐに返すということをちゃんと説明していて、この理屈は至極ごもっともなのです。「この馬鹿が店賃をほってよこした。それはいいよ、だけどね、額が六枚、足りないんだよ。だから八百はどうしたって、どうしったって聞くだろう?」

 だけれど、棟梁の口の利き方が悪くて(八百ぐらいのはした金、後で若いもんにほっぽり込ませますんで)、お金にうるさい大家さんには耐えられない言い草だったのか、内心八百は後でも良いと思っていたのにその八百を持って来ないうちには道具箱は渡せないと大家の態度を硬化させてしまいました。ここですぐ言葉遣いを正して平身低頭お願いすればよかったのに、八百ぐらいの目くされ銭とか言ってさらに怒らせてしまいしまいには「前から言おうと思ってたんだけどね、私はお前が大嫌いなんだよ!お前の親父もいけ好かない男だったが・・・・お前と同じ空気を吸っていると思うだけでむかむかするんだよ。いいから八百もってきな。持って来たら渡してやる。」

 こんなことを言われてしまったらもう棟梁も我慢が出来ないからどうしたって喧嘩になってしまう(笑)ただ因業大家に棟梁が切れるという話の中に、双方の理屈があっていろいろな心理の変化があって、そこに与太郎が絶妙に絡んで笑が起こっていくという、理想の大工調べでした。大工調べは色々聞きましたが、これほど骨格がしっかりして聴き応えのあるものは滅多にあるものじゃありません。

 中入り後は薮入り。これもとても良かった。師匠がまだ子供だった頃、テレビで先代の金歯が薮入りをやっているのを見て衝撃を受け、それから落語にはまっていったという、志らくの原点になる噺なんですね。家にあったレコードを擦り切れるほど聴いたので一字一句、息遣いや言いよどんだところまでまるっきりコピーできるといい、さわりだけ再現してくれましたが、本当にそっくり。お腹の中にレコードが入っていてそれが回ってるみたい。

 この落語で一番良いところはもちろん宿りで帰ってくる息子を待ってる熊五郎さん。もうすぐ帰ってくると思うとそわそわして眠れない姿も、帰ってきた息子が思いがけず大人びた挨拶をして戸惑う姿も、母親が息子の財布に15円も入っていたのを見つけ多すぎると心配するのを、「さすが俺の子供だな、働きがいいからたくさん貰ったんだ」と誇らしげに胸を張る姿も、きっとお店のお金を盗んだのに違いないというおかみさんの意見にはじめは反抗していたのに「野郎!そういえば目つきが怪しかった!」と突然意見が翻ってしまう単純さも、みんなとても愛おしいお父っつあんだった。子供を想う親の可愛らしさがとても良く出ていて素敵な一席だった。それもやはり志らく師匠の巧みな表現力の賜物だということです。

 このほほえましい家庭像をさりげなく引き立てる、二人の近所に住む男を登場させているのが志らく師匠ならでは。息子が帰ってくるまでじっとしていられない熊さんが、朝の5時から家の前の掃除を始める。普段そんなことをしたことがな乱暴者が突然掃除などをするので、近所の二人が何か悪いことが起こると噂話をすが、しかし今日が16日でが薮入りだということに気付き、あんな乱暴者でも子供が帰ってくるのは嬉しいんだな、声をかけてやろうよと親心に同調してくれる。近所の人がなんとなく見守ってくれている古きよき日本の風景をさりげなく挿入させて、師匠が求める昔の匂いを出しているのでしょうか。この二人がサゲでも登場する。15円の大金を見て店の金を盗んだと思い込んだ熊さんが怒って子供を殴ってしまうが、よくわけを聞くと店で鼠を捕まえて、それを交番に届けて懸賞金を貰い、今日それを両親に渡すつもりだったのだということがわかる。とても親孝行なことだったのだ。熊さん宅の騒動を聞きつけて家に来た近所の二人が子供の亀ちゃんに声をかける。「亀ちゃん、これからもご主人様を大事にしなきゃいけないよ、チュウ(忠)のおかげだから」

 本来、このサゲは亀ちゃんの両親が言う台詞なんですが、第三者に言わせるほうが納まりが良いと志らく師匠は考えているようです。この手法は子別れで八百屋が「子供は夫婦の鎹だね」というのと同じですね。私もこの方が良いなーと思います。ちょっと良い邦画を見た気分でした。

 メインの一席はちょっと作業中でしたが、ほかに席は師匠の上手さ、深さを堪能できました。狂気というところは上手さだけでは飛び込めない領域ですが、師匠なら思わぬところでそれを見せてくれると思います。

 

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